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31年前に55歳で引退、86歳の余生を静かに楽しんでいたという。

「二十四の瞳」「浮雲」など
数々の名作に主演し、戦後を代表する
女優の高峰秀子(たかみね・ひでこ)さんが、
12月28日午前5時28分、肺がんのため亡くなった。

密葬は近親者のみで行った。喪主は夫、松山善三(まつやま・
ぜんぞう)氏。
# by kobusi74k | 2011-01-07 13:35
シルヴィアは大阪府出身の元実業団のバレーボール選手だった。
大阪で佐川満男の店で歌っているところをスカウトされ、
ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。

ロス・インディオス&シルヴィアとして、リリースされたデビュー曲
「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となる。

その後も、ロス・インディオスと活動を共にしていたが、
菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。
同曲で紅白歌合戦にも出場した。

これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。

昨年から、肺がんを患いながらも隠して仕事を続けていた。
昨年、体調を崩して検査を受けたところ肺がんと診断され、
転移も見られて手術が困難な状態に陥っていたという。

 仕事を続けながら闘病。
前夫との間の長男がぴったりと付き添い、
その看護ぶりは医療スタッフも感心するほどだったというが、
急変し帰らぬ人となった。



代表曲
別れても好きな人
それぞれの原宿
うそよ今夜も
(以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
アマン(菅原洋一とのデュエット)
# by kobusi74k | 2010-11-29 12:39
 「ロス・インディオス&シルヴィア」の元ボーカルで歌手のシルヴィア(本名松田理恵子=まつだ・りえこ)さんが28日午後、東京都港区の北里研究所病院で死去した。52歳。79年のデビュー曲「別れても好きな人」が大ヒットし、80年代前半に一世を風び。昨年に肺がんが見つかり、闘病生活を続けていた。葬儀・告別式は、近親者のみで行う。

 華やかなネオン街の歌で一世を風びしたシルヴィアさんが静かに息を引き取った。

 関係者によると、みとったのは唯一の家族だった1人息子の貴大さん(19)と前夫でフリープロデューサーの中山敏久さん(55)。シルヴィアさんは9月下旬に入院し、先月初めから集中治療室(ICU)に入っていた。眠るようにして亡くなったという。

 昨年5月、体調不良を訴えて受けた精密検査で肺がんが見つかった。すでに「ステージ4」の段階まで進行、転移も見つかり、手術は不可能な状態だった。その後、入退院を繰り返しながら抗がん剤や放射線による治療を受けてきた。

 8月には広島でのイベントでステージにも立ったが、9月に体調が悪化。貴大さんがいつも付き添い、愛する母を支えてきた。

 ◆シルヴィア 本名松田理恵子。1958年(昭33)3月21日、大阪市生まれ。高校在学中にバンドを結成。実業団のバレーボール選手だった経歴を持つ。「別れても好きな人」は80年の日本レコード大賞ロング・セラー賞を受賞。ソロのデビュー曲は谷村新司が作詞作曲した「愛のキャラバン」。私生活では88年3月に中山さんと結婚し、95年12月に離婚した。
# by kobusi74k | 2010-11-29 12:10
仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」とんでも表現

海江田「自衛隊の果たしている役割を考えれば、適切ではない」



 北沢俊美防衛相は19日午前の記者会見で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて「まさに残念という思いだ」と述べた。

 海江田万里経済財政担当相も、「自衛隊の果たしている役割を考えれば、適切ではない」と指摘。玄葉光一郎国家戦略担当相は「菅直人首相から注意されたということで、今後はそういう言葉を使わないと思う」と述べた。

 一方、細川律夫厚生労働相、鹿野道彦農林水産相はそれぞれ「国会答弁については、気を引き締めてしっかりやっていかなければならない」「緊張感を持ってやっていくのが大事だ」と述べ、苦言を呈した。 
# by kobusi74k | 2010-11-19 17:11




「夫婦坂」
  作詞:星野哲郎
  作曲:市川昭介

この坂を 越えたなら
しあわせが 待っている
そんなことばを 信じて
越えた七坂 四十路坂
いいの いいのよ あなたとふたり
冬の木枯し 笑顔で耐えりゃ
春の陽も射す 夫婦坂

女なら 花ならば
咲くときも 散るときも
見てて欲しいの あなたに
宿命(さだめ)あずけて 暮らしたい
いいの いいのよ 一間の部屋で
あなた待ってる 雪割草も
いつか芽をふく 夫婦坂

流れゆく 人の世の
哀しみに 泣いたなら
杖になってね 抱いてね
肩を貸してね 背負ってね
いいの いいのよ ふり向かないわ
曲がりくねった 坂道だけど
ついてゆきます 夫婦坂


兄弟舟

波の谷間に 命の花が
ふたつ並んで 咲いている
兄弟船は 親父のかたみ
型は古いが しけには強い
俺と兄貴のヨ 夢の揺り篭さ



昭和を代表するヒット曲を生んだ 名作詞家だった。
そのほとんどが人生をはげます応援歌だった。


「三百六十五歩のマーチ」「函館の女(ひと)」
「男はつらいよ」「風雪ながれ旅」
「みだれ髪」、鳥羽一郎(58)の「兄弟船」
「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」
「昔の名前で出ています」「北の大地」などがヒット。


 「三百六十五歩のマーチ」「函館の女(ひと)」などの作詞家で日本作詩家協会名誉会長、星野哲郎(ほしの・てつろう=本名・有近哲郎=ありちか・てつろう)さんが15日午前11時47分、心不全のため東京・武蔵野市の病院で死去した。85歳だった。先月から肺炎で入院していたという。人への温かい視点が持ち味で、その演歌は「援歌」「縁歌」とも呼ばれた。発表された曲は約4800。今年元日に発売された島津亜矢(39)のシングル「温故知新」が遺作となった。

 戦後歌謡史を彩った日本作詞界の大御所が、静かに天国へと旅立った。

 関係者によると、星野さんはここ数年、体調が悪く足が弱っており、今年になって車いすを使っていたという。5月に肺炎を発症、10月5日に再び肺炎で入院した。約1週間前には体調がかなり良くなったが、15日になって容体が急変し、帰らぬ人となった。最期は長男、有近真澄さん(52)の妻と長女の木下桜子さん、長女の夫が看取った。眠るような穏やかな顔だったという。

 近親者の話では、約5年前から時々、認知症のような症状が出ていたという。それでも体調が良いときは詞をつぶやき、それをスタッフが書き留めることもあった。「新しい詞だったり昔の一節だったりした」といい、静養につとめていた。

 星野さんは高等商船学校を卒業後、遠洋漁業のトロール船員に。病気療養中の1952年、雑誌へ投稿した歌詞が入選し翌年作詞家デビューした。人情の機微や人生の喜び悲しみをこまやかに描写した演歌は「援歌」「縁歌」とも呼ばれ、日本人の心に響いた。

 北島三郎(74)の「函館の女」や映画「男はつらいよ」シリーズの主題歌は広く親しまれた。作曲家、船村徹さん(78)とのコンビで北島の「風雪ながれ旅」、故美空ひばりの「みだれ髪」、鳥羽一郎(58)の「兄弟船」などがヒット。作曲家の故市川昭介さんと組んだ都はるみ(62)の「アンコ椿は恋の花」や水前寺清子(65)の「三百六十五歩のマーチ」、小林旭(72)の「昔の名前で出ています」も大ヒットした。91年、北島の歌った「北の大地」がレコード大賞を受賞。発表された曲は約4800、未発表は2000曲に及ぶという。今年元日に発売された島津のシングル「温故知新」が遺作となった。

サンケイスポーツ
# by kobusi74k | 2010-11-16 10:14